吸血鬼とお昼休み―後編

 私は持ってきていた水筒をさりげなく手に持って、思いついたかのように声を上げる。

「そうだ。実は魔法瓶にお味噌汁を淹れてきたんです。飲みますか?」

「え? ありがとう! なんだか貰ってばかりで悪いなぁ」

「どうぞどうぞ……」

 幸先は良好。無邪気な笑みを浮かべる彼女とは裏腹に、ほくそ笑んでしまう。
 博士お手製の保温効果のある水筒だ。中身の味噌汁は出来立てのように熱く、コップ代わりになる蓋を使って味噌汁を並々に注いだ。

「わぁーあったかいね~」

 三日月さんはふーふーと何度も息を吹きかけるとコップに口をつけた。

「んぐ……うんっ! この味噌汁も美味しいよ! おふくろの味っていうのかな」

(ふふ、計画通り……これで博士印の吸血鬼バスターが効くはず……!)

 博士にクラスメイトに吸血鬼が居るから正体を暴きたいと相談して数日。博士はこの“吸血鬼バスター~和風味~”なる薬を調合してくれたのだ。
 詳しい効能は知らないが、天才である博士が作る薬だ。これで三日月さんの正体が浮彫になる。

「ゆゆねちゃん? そわそわしてどうしたの?」

「あ、いえ、ナンデモナイデス……それより三日月さんの体調はどうですか?」

「ん? ああ、疲れならお味噌汁のお陰ですっかり取れたよ!」

 そう言った彼女はとても嘘を吐いているようには見えず、訝しさから挙動不審になってしまう。
 まさか薬が効いていないのか? 吸血鬼バスターなるものはきちんと仕込んだ筈である。こんな事なら博士にしっかり効能を聞いておくべきだった。

「ゆゆねちゃんも疲れているならお味噌汁がいいよ! はい!」

「え? で、でも三日月さんが使ったコップじゃ……」

「そんなの気にしなくてもこのコップはゆゆねちゃんのでしょ? ほら、飲んでみてよ」

「わ、分かりました……」

 結局、辟易としてしまった私は彼女が飲んだ後のお味噌汁を受け取ってしまった。
 視線を落とすと味噌によって濁った水面が揺れ、真横にはニコニコと笑みを浮かべた三日月さんがいる。私の反応を待っているようだ。

(え、ええい! こうなれば自棄です!)

 間接キス。それも三日月さんと思えば何だか変な気分に陥って、脳が痺れるように何も考えられなくなる。脳裏に浮かぶのは彼女の笑顔であり、ただドキドキと煩い心臓しか感じられない。
 困惑を振り払うように私はお味噌汁を一気に口に含んだ。

「わわっ! 一気飲みして大丈夫!? あ、熱かったんじゃ……」

「だ、大丈夫です! 私、熱いのには慣れているので!」

「い、いや! 耳から煙が出てるけど!?」

「これは手品です! 熱湯を飲み干して、耳から煙を出すマジックなんです!」

「す、凄いけどこのタイミングで披露!?」

 私という存在はロボットだ。つまり人間よりも作りが頑丈で、多少の熱湯なら耐えられるように出来ている。耳から煙が出ているのは急冷却されている証拠だが、まあ手品と言えば誤魔化せるだろう。多分……
 そんな事よりも間接キスをしたという事実に思考が覆いつくされ、三日月さんに顔向けできない。

「で? どうだった?」

「ま、まあ自分が作ったお味噌汁なのでこんな物かと……」

「そうじゃなくて疲れは取れたかなって……」

「逆に疲れました」

「なんで!?」

 目を丸くして驚いているが、私の疲労が増えたのは紛れもなく三日月さんの所為である。 吸血鬼バスターが効かない上に、間接キスを承知の上でさせられた。
 それらは蟠りとなって私の心を曇らせている。主に後者が原因だが……

(ん? そういえば今飲んだお味噌汁って……)

 そうだ。このお味噌汁はただのお味噌汁ではなく、三日月さんの正体を暴くための薬を混ぜた。そう、吸血鬼バスターなるものを溶かしているのだった。

(くっ……飲んじゃったよ……吸血鬼バスター……飲んじゃったよ……)

「ど、どうしたの? やっぱり火傷でもした? それとも体調が……」

 三日月さんは心配そうに私の肩を支え、背中を優しく摩ってくれる。
 そうじゃないのだ。私はただ自分の失敗が情けなくて、後悔に打ちひしがれているだけなのだ。寧ろ、三日月さんを罠に嵌めようとした身であり、そんな不安そうな瞳で私を見つめないで欲しい。こう、心に刺さるものがある。

(んぅ……あれ? 三日月さんの顔がぼやけて……なんだか眠たくなってきた……)

 三日月さんはお味噌汁一口分だったが、私はコップ一杯分だ。彼女が摂取した何倍もあり、いくらロボットだとしても博士印なので効いて可笑しくない。
 その証拠に段々と意識が薄れて、まるで深海へと沈んでいくように心身がふわふわとしている。

「ちょっ! どうしたの? やっぱり具合が――」

「み……かづきさ……ぁ……」

 ダメだ。三日月さんの声が途切れて聞こえ、世界が止まったかと錯覚するほど無音に包まれた。身体は力が入らず、ただ意識が闇に浸食されていく。
 


 なんだろう。朦朧とする意識の中、優しい温もりが感じられる。極寒の中で起こした焚き火のように、温かい希望の光に包み込まれているように心地よい。

(これは……あれ動かない? ぅん? 三日月さん……?)

 覚醒していく意識。
 重い瞼を開けると飛び込んできたのは三日月さんの顔。それも限界まで引き絞られた弓のような三日月型の口を、私の首筋に近づけている。

「……って! またですか!?」

「あっ起きちゃった?」

「起きちゃったじゃないですよ! や、やめてください! 寝込みを襲うなんて、この変態ッ!」

「へ、変態!? し、心外だよ! ちょっと揶揄っただけで……ごめんね?」

 三日月さんは小悪魔のような笑みを浮かべて、ベッドから降りた。
 こうして襲われるのは二回目で、私は胸を撫で下ろした。初めよりインパクトはないが、それでも焦ってしまうものだ。

「それにしても私は何をして……保健室ですか?」

 私は首筋に手を当てて、血を吸われていないことを確認すると周りを見回した。
 ふかふかのベッドに、真横には白い布が貼られたパーテーション。奥には機能性に溢れたデスク。その上にパソコンが置かれ、近くの棚には薬品が入った小瓶が並べられている。
 まだ数回しか入った事ないが、私の記憶が正しいなら此処は保健室なのだろう。

「そうだよ。ゆゆねちゃんったら眠っちゃうからびっくりしたよ。揺すっても全然起きないし……」

「ご、ごめんなさい。早く教室に戻らないと……」

「何言ってるの? もう放課後だよ?」

「へ?」

「だから放課後だよー。あっでも安心して! ゆゆねちゃんのノートは私がちゃんと写しておいたから!」

(くっ不覚……! まさか五時間も眠っていたなんて!)

 漸く、全てを思い出した私は時計を見て、夕方十七時であることを知った。
 なんという体たらくだろう。高性能ロボットであるこの私が五時間も気絶なんて。流石は博士印の吸血鬼バスターだ。まあ肝心の吸血鬼には効果無かったが……

「ノートは感謝します……変なことしてないですよね?」

「し、してないよ?」

「…………」

「ほ、本当だよ! 寝込みを襲おうとしたら丁度起きちゃったし……」

「それは知っています!」

 思わず声を荒げてしまったが、三日月さんの様子を見る限りそれ以外のことはしていないように思える。というかそう信じたい。
 それにしても良いタイミングで起きられて良かった。後少し遅れていたら首筋を噛まれ、ロボットだとバレてしまっていただろう。

「ねぇ……」

「な、ななんですか?」

 突拍子もなく、三日月さんは改まった様子でこちらを見つめてきた。
 あまりの真剣さに動揺した私は声が震えてしまう。

「ゆゆねちゃんって私のこと嫌い?」

「……え? そんなことないです。む、むしろす、す――いえ! な、何でもないです!」

 彼女の口から飛び出した質問は予想外で、思わず本音を曝け出しそうになった。友達に好きと伝えるなんて恥ずかしいったらありゃしない。羞恥心から顔に熱が帯びるのを感じ、きっと真っ赤に染まっているだろう。

「本当に?」

「どうしてそんなこと……」

「ほら……私って馬鹿だから、嫌なら嫌だってはっきり言ってほしいの。じゃないと勘違いしちゃう……」

 そう言った三日月さんの表情は沈み、本心から不安がっているようだ。
 また彼女の新しい一面を目の当たりにして、嬉しさから頬を綻ばせている場合ではないだろう。一刻も早く、彼女を楽にしてあげたい。

「い、嫌じゃありません。その、有難いです。私なんかと居てくれて……だから、えっと……ああもう!」

 いざ気持ちを紡ぐと、その難しさと恥ずかしさから緊張して声が出にくい。だけど今更諦める訳にもいかず、私は三日月ちゃんのため、心を奮い立たせて彼女の手を握った。

「ほら私たち! もう友達ですよね!?」

 記憶の片隅に浮かんだ台詞はよくある友情アニメで主人公がライバルやヒロインに言う言葉。
 それを思わず言ってしまった。否、言い放ってしまったと表すべきだろう。
 最悪な事にアニメの爽やかな雰囲気とは似つかず、必死さが顕著になっている。まるで私が三日月さんを友達だと引き留めているようだろう。
 三日月さんは呆気にとられているようだったが、直ぐに我に返ったようで微笑み、明るい声で言った。

「あはは、そうだよね。もう友達だよね、私たち……」

「はい! そうですよ! 友達です! ……まあロボットだと疑うのは止めて欲しいですけど」

「それはお互い様でしょ?」

 にこっと屈託のない笑みを浮かべた三日月さん。
 そうだ。私たちは友達だ。変な関係から始まった友達。互いに正体を探り合うのは未だに続いているが、不思議と嫌ではない。寧ろ、これからも続けばいいなと好感を持て、これが私たちの距離感なのだろう。

「あ、そうだ! 今度の日曜日、一緒に買い物にでも行こうよ!」

「え? いいんですか?」

「勿論だよ! 私といっぱい遊ぼう!」

「あ、じゃあ、よろしくお願いします……」

「そんなに畏まらなくてもいいのに……連絡先、交換しよっか」

「あ、ああ、はい! いいですよ」

 友達以前に、博士以外の人とお出かけなんてロボット人生で初めてである。だから、とても楽しみに思い、その所為で自分がロボットだと言うことを忘れてしまった。

「え、えっと……ゆゆねちゃん? その腕は……」

「え? あ!? ち、違うんです! 決してスマホが内蔵されている訳ではなくてですね!? そ、そう! 手品なんです!」

「いやそれは流石に無理があると思うけど……」

 三日月さんはジト目で私を見つめ、私は背筋が凍りついていた。
 私のスマホは博士の趣向で腕に内蔵されており、腕時計のように扱える。そして、そのシーンをばっちりと見られてしまったのだ。いつまでも手品で誤魔化すのは限界があるだろう。

「えーっと……ああっ! 窓の外にUFOが!?」

「へ? どこどこ? ってそんなわけ――きゃっ!」

 窓に視線をやっている三日月さんは素直で可愛らしいが、感心している場合ではない。
私は右手に内蔵されている蛙のぬいぐるみ、否、護身用のガマ口スタン君で彼女の意識を奪った。

「み、三日月さん……ご、ごめんなさい……」

 倒れる彼女を支え、ベッドへと寝かす。
 乱暴な真似をしてしまって申し訳ないが、これも私が普通の人間として暮らすためなのだ。





「ん? あれ? 私、寝ちゃってた?」
「起きましたか? 突然倒れてびっくりしたんですよ?」
「んー? 何か衝撃があったのような……」
「そ、それは……ほら! 倒れた時の衝撃ですよ! 私が受け止めました!」
「そうなの? ありがとうね! 夕方だし、一緒に帰ろっか」
「はい!」
 私と三日月さんは一緒に下校した。
 結局、スマホは忘れたと言い訳して、連絡先は紙に書いてもらった。