お買い物前夜

 私は持っている全ての服をベッドに広げ、姿見の前で一人唸っていた。

「ど、どうしよう……明日は三日月さんとのお出かけなのに碌な服がないよ」

 そう、明日は約束の日。私が三日月さんと買い物に出掛ける日である。それも二人きりで、俗に言うデートというものだ。
 それなのに家のクローゼットに入っていた服はどれも地味な物。普段お洒落に気を遣わない代償がこんな時に来るなんて予想外である。

「うぅー……本当にどうしよう。今から新しい服を買いに……いや、もう閉まっているだろうし、開いていたとしてもセンスないだろうし……」

 八方塞がりとはこの事だろう。
 一度頭を休ませようとベッドに飛び込み、布団を抱き枕にして不貞寝する。
そんな時、部屋の扉が静かに開かれた。

「ゆゆねよ。わしのご飯はまだかのう? お陰で研究が捗ってゆゆねにバズーカでも付けてしまいそうじゃ」

「が、博士……入ってきた瞬間に物騒なことを言わないでください!」

 ノックもせずに入ってきたのは博士だ。漆黒の髪を伸ばし、白衣をいつも着ている私の生みの親である。
 といってもまだ子供で、その証拠に下着は少年が好みそうなロボットキャラがプリントされている。ジジ臭い口調と白衣はただ貫禄があるように思わせたいだけだそうだ。

「そういえばもう七時……今から晩御飯を作りますね」

「まあ待つのじゃ。さっきから何をしていたんじゃ? こんなに服を散らかして……もしや彼氏でも?」

「な!? ち、違います! 明日、三日月さんと買い物に行く予定なんです」

「ああ。あの例の吸血鬼と……」

 博士はいつも探究心に溢れ、謎があれば粉骨砕身、努力を惜しまない性格だ。しかし、吸血鬼と呟いた博士の表情は興味無さげに見える。
 自分で言ってなんだが、明日の事で頭がいっぱいですっかり忘れていた。三日月さんは吸血鬼だった……

「あ、そうだ。博士が作ってくれた吸血鬼バスターは全く効き目がなかったです」

 あの時の惨事を思い出した私は一応報告しておく。
 すると博士は掛けている伊達眼鏡をくいっと上げ、毅然とした態度で言った。

「まぁ、あれはただの睡眠薬じゃからな」

「そ、そうなんですか!? だから眠たくなったんだ……」

「なんだ? ゆゆねが飲んだのか?」

「え、いやぁー……」

 自分が間抜けだったという事は重々承知である。
 博士の憐れみを含んだ視線に、ぎこちない笑みを浮かべてやり過ごすしかできない。

「しかし、あれはきつめの睡眠薬だったのじゃが、それが効かないとなると本当に吸血鬼なのかもしれん……」

「あ、もしかして最初から信じてなかった質ですか?」

「そりゃそうじゃ。クラスメイトが吸血鬼と言われて信じる方がどうかしているだろう?」

「うっ……まあ確かに……」

 道理でいつもみたいに興味深そうにしていない訳だ。
 慮って見れば三日月さんの話をした際も欠伸をしていたし、大方吸血鬼バスターという睡眠薬も適当に選んだ物なのだろう。
 何だか裏切られた気分だ。

「まあでも、その話を聞いて俄然興味が湧いた」

 博士はベッドの上に座り、腕を組んだ。
 眼鏡越しに見える怜悧な瞳は獲物を見つけた獣のようにぎらつき、いつもの探求心溢れる博士に成ったようだ。
 これは心強い。本気になった博士なら三日月さんの正体を暴く装置や薬くらい、パパっと作ってしまえるだろう。
 私はわくわくと、博士の言葉を待ちわびる。

「ゆゆねの話では吸血鬼だったが、それは確かなのか?」

「はい、恐らくは……私がいつも掛けている十字架のネックレスを見て怯えていましたし、血を求められて襲われました」

「ふむ……」

 博士は例のネックレスを手に取り、まじまじと見つめては観察している。が、何もないと分かったようで直ぐに手を止めた。
 私自身、そのネックレスの出所を憶えていないが、何の変哲もない銀色の十字架が付いたアクセサリーだ。高い物ではなく、そこら辺にある雑貨屋さんで売っているような安物で特殊能力なんてありゃしない。

「その三日月とやらは未知数じゃ。まして本当に吸血鬼だとしたら対策の打ちようがないな……わしとしてはぜひ捕獲して、吸血鬼の秘密を探りたいがの」

「博士でも駄目なんですか?」

「そういう訳じゃないが……穏便にいきたいんじゃ。ここは、そうじゃな。取り敢えず、吸血鬼の弱点を突いて、本当に吸血鬼かを確かめようじゃないか」

 博士は顎に手を添え、思考を巡らせているのか部屋の中をぐるぐると歩き回る。

「確か吸血鬼の弱点は日光、十字架、聖水、ニンニク、流水……あとは心臓に杭とかじゃったかな? どれも眉唾物だが……」

「日光と流水、あとニンニクは多分嘘ですね。三日月さんは太陽の下を歩けますし、手を洗えます。昼食にニンニクが入ったラーメンを食べていましたし……心臓に杭は普通の人間でも死にますよ? 聖水は分かりませんが……」

「ふむ……」

 これでは効果的な弱点は十字架くらいしかないだろう。
 聖水は分からないが、恐らく十字架と同等かそれ以下。そもそも簡単には手に入らない物だ。
 それを分かったのか、博士は難しそうに眉を顰めている。私としてはお手上げ状態だが、きっと博士の天才的な頭脳ならば最善を導いてくれるだろう。

「こうなったら武装したゆゆねが捕獲するのはどうじゃ? バズーカくらいなら簡単に搭載できるし、吸血鬼くらいなら一発でヤれるだろう。十字架に怯えているところをこう眉間に一発ボカンと……本当は生け捕りが好ましいが、まあ死体さえあればどうにかなるだろう」

「穏便にするのでは!?」

 過激なことを口走る博士にびっくりしてしまった。
 博士は「冗談だ」と言っているが、内容が具体的過ぎて冗談に聞こえず、変に汗をかいてしまう。

「それで本題に入るが――「今までの本題じゃなかったんですか!?」ごほんっ……兎に角! ゆゆねはどうしたいのじゃ? 何が目的じゃ?」

「わ、私ですか? ……私は三日月さんが吸血鬼だという証拠が欲しいのと、本人にそれを認めさせたい、ですかね」

「本当にそれだけなのか?」

「それは……」

 真剣な表情で訊かれ、ぱっと言い返せない。いや、正確には『三日月さんと友達になりたい』という想いが浮かんだが、それはもう達成されている上、それ以外にも何かあるような気がしてならない。

「ふむ……その様子じゃまだ気持ちが定まっていないんじゃないのか? わしとしては捕獲して解剖でもしてやりたいがゆゆねの気持ちを尊重したい。それまで待つとするかのぅ……」

「三日月さん……」

「何をやっておるのじゃ? 早くご飯を作ってくれんか」

「あ、すみません!」

 扉から顔を覗かせる博士に急かされ、私は駆け足でキッチンへと向かう。
 私にとって三日月さんは特別な友達だ。その特別の意味は自分でも分からない。ただ唯一の友達だから特別なのか、それとも奇妙な関係から始まったからか。思い浮かぶ関係はどれもしっくりこない。
 普段、私は三日月さんを吸血鬼と疑い、その確証を得ようとしているけれど……それを得たとしてどうするのだ? そのまま友達として過ごすのか? 

「……まあそのうち分かるよね」

 気分を切り替え、冷蔵庫から野菜を取り出して刻む。もやもやとした気持ちを振り払うように、料理へ集中した。